青写真

ゲームとおいしいものと、時々、日常

最近の食マンガ飽和に思うこと。

※今回は特定の作品に対するネガティヴな意見が含まれています

 

 

 

食べることが好きだ。

外で食べることはもちろん、自炊も好きだ。

最近は全く呑まなくなったが、以前二十三区に居を構えていた時期には良くふらりと立ち飲みに行って酒と料理を楽しんでいた。酒肴になる食事も好きだし、甘味も好きだ。

べつだんマクロビだとかヴィーガンだとかに拘らない。湿疹が出れば全体食を心掛けるし、梅干しだって漬ける。たまには玄米と白米を一対一で炊く。時短の為にほんだしやウェイパーや昆布茶を使うことはよくあるし、インスタントものや冷凍食品も場合によっては辞さない。ストレスが溜まれば生地をばんばん叩き付けてオーバナイトでライ麦パンを作るし、袋麺があれば結構な頻度で鯨井風汁なし麺を作る。かぼちゃとにしんのパイだって作る。

とにかく、食べることが好きだ。

 

一人暮らしを始めた時分には卵料理を極めるべくそこそこの金をかけて料理していた。

それを変えようと思ったのは、『きのう何食べた?』との出会いである。

当時自分は色々あって節約しなければならない状況だった。この漫画を読んで、お金を節約してもおいしい料理は食べられるのだと漸く気付いた。

そして料理をすることでスイッチの切り替えができることに気付いた自分は、夜遅くに狭いキッチンで食事を作ることを始めたのだった。

その後、色々あって体調を崩すまでは結構な頻度で弁当を持参していた。

 

そんな自分の話はどうでもいい。食マンガの話に戻る。

最近本屋に行く度、新しい食を扱った漫画に出くわす。アプローチ方法を変えてはいるが、あくまで一個人の感想だが正直読み手としては似たり寄ったりだ。

何故料理漫画だったり、店紹介漫画が増えたのか、編集者でもない読み手には知る余地はない。

美味しそうな食事が出てくる漫画はとても魅力的だし、自分がモノを書く時には食の描写を突っ込むことも割とある。一人の食事であっても、大人数の食事であっても、それがその人間の心情を描写するのには適当だと考える。本当に荒んだときは食事を摂る余裕すらなくなる、というのも含めて表現だろう。

 

話が前後するが、立ち飲みの店には顔馴染みが幾人もいた。大体自分の出没する時間は決まっていたので、同じような時間帯にいる人とは何となく会話することも多かった。

その中で料理漫画の話になったことがある。これが面白い、という話になった中で一番インパクトのある漫画は、たぶん会話した人数から特定されそうなのでここには書かない。

人によっては『孤独のグルメ』『花のズボラ飯』の絵が受け付けないという話もあったが、自分は気にならなかった。どちらかと言えば好きな部類だ。

漫画におけるシズル感というか、食べたい・作りたいという気分にさせるという画というのが大事だと思う。

きのう何食べた?』『男の料理!』『ドロヘドロ』など、自分でも作ろうと思うことができる漫画も大事だし、『3月のライオン』『くおんの森』『乙嫁語り』のような味の想像をかき立てられる料理の描写がある漫画も素敵だと思う。『ひまわりっ健一レジェンド〜』におけるチキン南蛮の味へのこだわりは本物のチキン南蛮への憧憬を掻き立ててくれた。実際(手に入らなかったチキン南蛮のタレ以外を)描写通りに作ったら甘かったがとても美味しかった。

まあとにかく、「美味しいものが美味しく描かれている作品が好き」という一言に尽きるのかも知れない。

 

タイトルに立ち戻る。

衣食住という言葉に表されるように、食はひとつ大事な要素である。

 そして、食はその人を表すと思う。

ここまで引き延ばしてきたが何が言いたいか。クリティカルに書いてしまうと問題があるのはわかっているが、一応書いておく。

この「食を扱った漫画がブームだからそれっぽいものを描いておけば小ロットでも当たるんじゃないか」というような風潮が正直嫌だ。美味しく見えない料理を何ページも使って描写する漫画を見るのがつまらない。ロハスっぽくオーガニックやら出汁を取って描けば玄人風に見えるだろうという意図が見えるのも単調にしか見えない。

食だけじゃなくて他のものが面白い漫画をもっと読みたい。そう思う。

 

まあぶっちゃけて書いてしまったついでに立ち飲みの店で偶然出会った人と一致した「これは食べ物漫画にしてもイラっとした」一冊について語ろう。

『いつかティファニーで朝食を

この作品のファンの方がいたら最初に謝意を表明しておく。大変申し訳のないことです。が、自分には響かなかった。

朝活というのは素晴らしい。その理由が朝食であってもいいと思う。いいじゃないか! 朝からおいしい食べ物! 贅沢な食事!

そこまでは同意できる。朝炊きたての米があって、卵焼き、鯵の干物、味噌汁 、納豆、そして日本茶。場合によってはパンケーキだっていい。サンドウィッチだっていいじゃないか。スィルニキだって、中華粥だって素晴らしい。

朝食礼賛は別に否定しない。直前で書いた通り、朝に何を食べるのか、それは自由だと思う。

問題はそこではない。

「オシャレも仕事も頑張ってるアタシ☆ 色々あるけどめげないゾ☆ 食事にだって手を抜かないのっ☆ 最先端から定番まで知ってるの☆ リサーチ力もあるでしょ☆ ほらこんなアタシ凄いでしょ☆」

というテンプレ的なスイーツ臭に呆れるのだ。

自分が自分の井の中でいかに恵まれていないかという話とオシャレな店を描写、その中で出てくる食事が美味しそうに見えない。キャリアOLだろうとロハスな人生を歩んでいようと主婦だろうと一度精神的に落とさないと食事を美味しそうに食べることができないのだろうか。

 

美味しそうな食事がきちんと描いてある作品というのは大事だ。

それを学ぶことができたという意味では、この漫画には感謝すべきなのかも知れない。

自分が作品を書く際には、こんなこと知っているぞドヤァだったり想像を掻き立てない描写をしないようにしようと心に刻んだ。それができるかは自分の努力なのだろうけれど。

マラサダの生地の準備に馬鈴薯をふかしながら、そんなことを思った。